僕やあなたが大好きな落語家のランキング情報。
昭和から40年以上落語を楽しんでいる私はからはビックリです。
子どものころから桂歌丸さんはあの独特な風貌で、若い頃はもっと髪があったようです。
笑点といえば桂歌丸さんで、番組の大喜利は昭和の名物、今思い出しても面白いです。
5代目圓楽、6代目円楽とのバトルも見どころで、星の王子様の5代目、ハラグロキャラの6代目、ミイラやお化けの桂歌丸…そのやり取りは笑点ならではの名場面でした。
桂歌丸師匠の落語や人生を紹介します。
桂歌丸さん、昭和の落語のその足跡は偉大であった、大好きな落語家だ。プロフィールから!!
出身は神奈川県横浜市。戦争を経験した落語家ですが、当時はまだ子どもで、その大変さを肌で感じた世代です。
少年期はかなり変わっており、なんと遊郭の女郎屋「富士楼」で育ちました。
落語家としては珍しい環境で、戦後の混乱期にも「富士楼」は商売繁盛で食べることには困らなかったそうです。
当時はまだ珍しかったラジオも家にあり、そこから流れる落語を聴いたことが落語家を志すきっかけになりました。
1951年に中学を卒業し、知人のすすめで5代目古今亭今輔に入門。その後、師匠の死去に伴い、最も信頼する桂米丸の弟子となります。
名は「桂米坊」でしたが、額が広くなって子どもっぽいと言われたため「桂歌丸」に改名。
早くに年上の妻・冨士子さんと結婚し、テレビには一切出ない謎めいた女性ながら、よく尽くしてくれたそうです。
笑点では“鬼嫁”などとネタにされていましたが、実際は全く違ったようです。
この後は、笑点での悪友でありライバルでもあった三遊亭小圓遊とのエピソードへと続きます。
桂歌丸さん、歌丸さんと笑点は今の人気番組は、昭和時代からです。
昭和から続く名物番組「笑点」の歴史はここから始まったのかもしれない。
大喜利では桂歌丸さんと、当時人気だったキザな落語家・三遊亭小圓遊さんとの掛け合いが名物だった。
今はメンバーが変わっても、そのような場面は今も健在だ。
小圓遊さんが番組の見せ場で歌丸さんを「ハゲ」と罵り、歌丸さんが「お化け」と切り返す。
このやり取りは次第にエスカレートし、昭和らしい芸として大いに笑いを誘った。
実はこれは番組を盛り上げるための演出だったという。
この掛け合いが話題となり、視聴者から「二人を仲直りさせてほしい」という要望が寄せられ、番組内で和解式まで行われた。
司会の三波伸介さん、5代目三遊亭圓楽さん、そして星の王子さま役が立ち会い、握手で和解成立。
しかしその後も二人の言い合いや罵り合いは名物として続き、大喜利の定番となった。
1980年、小圓遊さんが山形で倒れ、食道静脈瘤破裂で急逝。この時、歌丸さんは「弟を亡くしたような気持ち」と語ったほど信頼していた仲間だった。
その後、笑点では小圓遊さん追悼の大喜利が行われ、同じ世界で同じ仕事をしていた仲間を失う寂しさと悲しさを笑いに変えて伝えた。
今思い出しても涙がこぼれる。桂歌丸さんと三遊亭圓楽さんの「星の王子さまバトル」、そして桂歌丸さんと三遊亭楽太郎(6代目円楽)の「ハゲ・遺体」対「腹黒・悪太郎」へと受け継がれ、令和版として今も続いている。
桂歌丸さん、隠し孫がいた。本当かウソかはこの後で。!!
ウワサの相手は、落語家の「柳家わさび」さんです。
この話題が出たのは、あの『笑点』でのこと。
若手大喜利に出演していた柳家わさびさんが回答をしていると、「あれ、歌丸さんによく似ている」という話になり、それをネタにして自己紹介で「歌丸の孫かもしれない柳家わさびです」と笑いを誘いました。
真面目そうな歌丸さんに隠し子がいて、その子がまた子どもを産み、落語界に送り込んだ…という、あるようなないようなウワサが流れたのです。
柳家わさびさんはまだ若手ながら、さまざまな場で活躍中。落語の面白さを若い世代から子どもたちまで幅広く伝えています。
桂歌丸さん、落語の話芸、芸能とはを何かひとつ紹介。
歌丸さんの落語を聴くと、「話芸」とは何かがわかります。言葉や声量、表情を組み合わせて、お客さんに情景を「想像」させる力。
そして手ぬぐいや扇子を使い、社会の情景から武器に至るまでを自在に「想像」させる芸の力です。
昔、ある場所で歌丸さんが話していたことがあり、そこで気づきました。
落語とは「落語家とお客さん」が同じ想像の空間で、同じものを見て、聞いて、共に楽しむものなのだと。
落語っていいな。落語家さんありがとう。歌丸さんありがとう!


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