桂文枝と上方落語四天王とはどんな落語家か、四天王とはどんな事?

桂文枝さんは芸歴60周年の年として活動をスタート。

6代目桂文枝さんと昭和の上方落語家四天王との関係、そして四天王とはどんな落語家なのかを昭和から調べてみて驚いた。

昭和から落語を愛し続けて40年の私が好きになった噺家たちが活躍し、四天王と呼ばれるようになったのだ。

6代目桂文枝は昭和の上方落語家四天王の一人だが、令和にも四天王はいるのだろうか。

82歳になっても元気な6代目桂文枝の歩みを振り返ってみよう。

上方落語家四天王の話し前に「四天王」とは、どのような事かを説明から始めよう。

そもそも「四天王」という呼び方は仏教に由来する。

東西南北の四方を守護する「持国天・増長天・広目天・多聞天」の4尊天を指し、甲冑をまとって邪気を払い、国家安寧や仏法守護の役割を担う守護神として崇められてきた。

東方の持国天は国を支え守り南方の増長天は五穀豊穣や成長を司る。

西方の広目天は広い視野で災いを早期発見し、北方の多聞天は仏の教えを聞き広めるとされる。  

このことから、特定の分野で傑出した4人の有力者をまとめて「四天王」と呼ぶようになった。戦国・江戸時代には徳川四天王として「井伊直政、酒井忠次、榊原康政、本田忠勝」が知られ、同様に「賤ヶ岳の七本槍」や「三羽ガラス」など、数字を用いて強者や名人を指す呼び方もよく使われた。

「四天王」を少しわかったところで、昭和の上方落語家四天王についてご紹介します。

上方落語は戦後、常設の寄席もなく、落語家にとって暗黒時代が続いていた。

そんな時代を経て、1970年代(昭和40年代)から1980年代(昭和50年代)にかけて、大阪では庶民の娯楽のひとつとして落語が再び脚光を浴び始めた。

テレビやラジオといったマスメディア、そして笑いの殿堂・吉本興業の大きな後押しもあり、大阪の人気落語家たちが次々とテレビに登場して活躍し、落語は日常の笑いとして定着していった。

そして上方落語家の中から、四天王と呼ばれる人物が登場してきた。

6代目 笑福亭松鶴さんは、松鶴一門を率いて、活躍し、上方の豪快な爆笑派と言われています。

3代目 桂米朝さんは、上方落語の復興、体系化に尽力し、落語の芸を含め国から「人間国宝」として認められた落語家です。

3代目 桂春團治さんは、春團治一門を率いて、関西風のはんなりとした味をだした落語家さん

5代目 桂文枝さんは、文枝一門を率いて、軽妙で愛嬌のある落語で笑いを演出した落語家さん

このように4人がそれぞれ個性に芸で関西の人々を笑いの渦に巻き込んでいった。

このように人気、実力があった事から、マスメディア、視聴者から四天王と呼ばれるようになった。

大阪には、四天王寺もある事から、大阪の人は「四天王」の言葉も好まれたようです。

令和の上方落語家四天王は、いるのか、いる場合はだれが四天王なのか。

2016年1月、3代目桂春団治さんが亡くなり、上方落語家四天王はすべて姿を消した。

当時、四天王の弟子たちは話芸を磨き、落語ファンから人気を集める実力派として成長していた。

そして2021年、「復活 上方落語名人会」が開催され、令和の「四天王」候補として4人が高座に上がった。

6代目桂文枝さんは、5代目桂文枝さんの弟子で、三枝から改名し6代目を襲名。

4代目桂福團治さんは3代目桂春團治さんの弟子。

2代目笑福亭鶴光さんは6代目笑福亭松鶴さんの弟子。

5代目桂米團治さんは3代目桂米朝さんの子息であり弟子。 大阪の定席寄席「天満天神繁昌亭」では、トリを務める実力派揃いである。

上方落語家四天王の落語は、江戸東京落語と同じ落語でも違っている。浪速です。

上方落語は、江戸東京落語と比べて独自の文化的影響を受けています。

関西弁特有のリズム感や話しぶりが、地域色豊かな味わいを生み出しています。

同じ噺でも、江戸東京の言葉に比べてアクセントが強く、それが特徴として効果を発揮します。関西弁には「どぎつい」印象があり、それが上方落語の個性となっています。

また、江戸東京落語とは違い、鳴り物入りの派手な演出も魅力の一つです。

鳴り物は噺の雰囲気や空気を変え、場面転換を大げさにし、お客さんを視覚的・聴覚的に飽きさせず、最後まで引き付けます。これこそが上方落語の見せ所です。

桂文枝は、上方落語界の今、そして将来に夢の場所を提供に貢献したんだ。尊敬します。

大阪には、最近まで寄席の定席がなかった。

東京には「新宿末廣亭」「池袋演芸場」「上野鈴本演芸場」「浅草演芸場」があり、落語家やお笑いの若手が実際のお客さんの前で腕を磨ける場所があったが、大阪にはそれがなかった。

この状況を心配していたのが、上方落語協会会長の桂文枝さん。

彼を中心に活動が始まり、大阪天満宮が敷地を無償提供してくれることになった。

こうして場所は天満宮に決定。費用は「大阪に寄席を」という熱い思いに応えて市民や企業が支援し、総額1億8000万円が集まった。

寄付者への感謝として、名前を刻んだ提灯が天井から吊るされている。

寄席の名は「天満天神繁盛亭」。これは昭和48年に千里セルシーホールで始まった「千里繁盛亭」に由来し、笑福亭松鶴さんが「日を重ねて繁盛するように」と願って名付けたものだ。

天満宮がある天神橋筋商店街も応援し、2006年にオープンして以降、若手の修行の場や全国の落語ファンの観光スポットとして知られている。

オープン時には桂文枝さんが人力車で登場する華やかなセレモニーも行われた。

寄席の前後には食事やお酒を楽しみ、江戸時代の雰囲気を味わうファンも多い。

こうして「上方落語四天王」や桂文枝さんの思いは、今も受け継がれている。

大阪に行ったら、ぜひ「天満天神繁盛亭」へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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