落語の世界にも「二刀流」を実践している人がいるって知っていますか。野球界のでは、大リーグ ドジャースへ移籍した「大谷翔平」が有名ですね。投げては先発ピッチャーとして10勝をしながら、バッターとしては、ホームラン王となる。すごい人です。落語の世界にも、一風変わった二刀流がいるとのウワサです。さてその正体はなにかな。
二刀流としての草分け!新作と古典プラス歌手として活動しているベテラン落語家桂 雀三郎!
桂 雀三郎さんは、御年 72歳で現役で活躍しています。 師匠は、亡くなりましたがあの名人「桂 枝雀」さんです。 枝雀師匠の芸を引きづき、あの顔芸もある古典落語「寝床」などを得意芸としています。 落語家では、途絶えていた古典ネタを復活させて、世間をビックリさせたりましています。
雀三郎さんは、コミックソング「ヨーデル食べ放題」で歌手としてデビューした。またまたみんなビックリです。落語の噺も「声」がいいねとは評判でしたが、まさか 歌を歌って歌手になるとは誰も思っていなかった。 今でも「桂雀三郎withまんぷくブラザーズ」としてライブをしている二刀流。落語会では、二足のわらじと言われています。元気に活躍中 是非みな様も、こんな高齢な落語家と歌手を見に来ませんか。ビックリ 楽しいですよ。
落語家二刀流として埼玉県出身「林家 たい平」!
林家たい平師匠は、あの長寿、人気番組の「笑点」大喜利のレギラーメンバーです。
たい平は、三平の弟子であるこん兵師匠の弟子である。三平師匠の孫弟子にあたる。そもそも「たいへい」と呼ぶ名前でなかった。もとは「たいぺい」であったが、三平大師匠のおかみさんである、海老名香葉子さんから「たいへい」の方がよいのではと意見があり、「たいへい」になったと言われている。名前でもいろいろあった人物である。落語家としては、その実力はみんなが知っているところです。 2001年に真打に昇進した。
たい平さんのその経歴は、入学に難しいと言われる「武蔵野美術大学」に入学し、「デザイン科」を先行し芸術の世界を目指していた。当時大学の落研サークルが廃部寸前と聞き、何とかしなければいけないと思い、友人数名を廃部を撤回させた行動力があり、それがきっかけで落語を始めたとのこと。学生時代は「游々亭迷々丸」となのり活動を始めた。当時落語を見たことも、聞いたこともなかったので、漫才やコントをやっていた。
ある日ある時ラジオから名人人間国宝柳家小さん師匠の「粗忽長屋」を聞いて、初めて落語の魅力に虜になってしまったのが落語家のなるきっかけである。
出身からもわかる様に、デザインに関する知識と能力は有しているので、その活躍する機会が巡ってきたのは有名である。 松屋銀座店で「林家たい平 うつわ展」を開催するまでにんっている。このうつわは、長崎県波佐見町で400年以上の歴史を持つ「磁器 波佐見焼」にたい平さんが、ひとつひとつに染め付けを行って150点を期間限定で展示販売した。大盛況であった。 今では、著書の挿し絵なども手掛けている。落語界の二刀流である。
また、今では「古典落語 芝花」をヒントにして「芝花ゆらゆら」でCDデビューしている。その歌唱力は、定評があり、夏樹陽子さんのディナーショーにはゲストと出演し「いつしのエリー」歌い上げたことは有名である。 たい平さんは、大のサザンオールスターズ大好きで「林家たい平が選ぶ「カラオケで、車になかで、桑田佳祐と一緒に歌いたい」20曲を発表したりしている。
ここまでくると、二刀流ではなく、それ以上になっている。林家たい平は今後は何をするのか楽しみです。
落語家の二刀流!自分はどうかな!二刀流だよ!
私 普通のサラリーマンです。ある時会社の中にある食品工場へ異動となりました。今まで通常の事務・総務関係から「食べ物」を作る作業へと変わったのです。それはビックリですが、なれる事を優先して取り組んでいたら、その食品工場の「企画開発」に部門責任者になりました。現場で食品を製造していたので、食品のいろはは知っていたので、意外と「企画開発」にはすぐになじみました。その後長くその部署にいて60歳を前にまた移動となり、法律に関係する部署に異動しました。今度は法律の勉強をしている日々です。
このように普通のサラリーマンでも、いろいろなセクションを担当して、なんでもできる人は多数いるのではないかと思います。みんなの眼に触れないだけなんではないでしょうか。
日本のサラリーマンは、みんな二刀流以上と思います。だからこんなに経済力のある国になったと思います。、みんさんもそう思いませんか。
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