落語ニュース!桂ざこば。僕が好きあなたが好きな落語家ベスト選!!

落語ニュース! ! 僕がそしてあなたが好きな落語家大好きベスト情報。

私の独断で、ナニワの大好きな落語家です。若い時は、テレビのレポーターのような仕事もしていた変わり者落語家です。

四人目は、ナニワの異端児であり、阪神タイガースの川藤のような存在です。

残念 今年芸と一緒に旅たちました。

ナニワらしい落語家です。「2代目 桂ざこば」さん、その落語なり、人生なりを紹介します!

落語ニュース!桂ざこばさん、ナニワの落語と笑いをを届ける大好きな落語家です。プロフィールから!!

出身地は、大阪の中の大阪である、西成区です。

大阪の人でも、そこはと言われる場所で産まれいます。

いろいろあり、母と姉の3人暮らしで苦労しました。

中学時代からアルバイトして家計を助ける、家族思いの男のでした。

この家族思いが、後々の落語界での活躍にも影響したのかもしれません。

アルバイトは、新聞配達・靴磨き・アイスクリーム売りなど多種多様です。

昭和30年代はこのような子供が日本全国に多かったかも。

ただし、ざこばさんは、家計を助けたが、学校にもいかなくなった。

この学校行かないことが、ざこばの人生を変える事になるとは、本当に人生とは解りませんね。

落語ニュース!桂ざこばさん、学校行かないことが、新たな人生の幕開けになるとは。人生不思議!!

ざこば少年は、中学校在学中、勉強がキライなこともあったが、すぐ近くに千日劇場と言う、昭和の娯楽の殿堂があった。

これは東京浅草の演芸場界隈と同じような場所が、大阪にもあったのだ。

ここで、三代目桂米朝さんの「浮世床」を演じる姿とその落語が面白くてたまらない。子どもが面白いのだから、これはスゴイと、ざこばは思った。

桂米朝に、すぐに弟子入りを志願しいいった。少年であるから、まっすぐですね。

米朝師匠は、「学校さぼるような子は、噺家にはなれない」と突き放した。

ざこば少年も負けていない。何日も米朝師匠のところに通い詰めた。

ある時、米朝師匠が、「落語はできるのか」と問われ、ざこば少年は「浮世床」を話した。

そこに居た、弟子の桂小米(のちの名人 桂朱雀)が、「師匠 彼を弟子にとりましょう」と口添えと推挙してくれた。これが、ざこばの人生が大きく動いた日となった。

この場所の桂枝雀さんが居て、推挙してくれたことが大きかった。

桂米朝師匠は、親心から「噺家も高校位はでないといけない」と高校進学を進めたが、ざこば少年は、欠席日数が多く、進学できる高校がなかった。

今では、子どもが少なく学校が統廃合の時代である、今ならどかでも高校はいけたでしょうね。時代を感じます。

桂米朝師匠は、世間の風・空気を吸ってこないとダメと言われて、ざこば少年は、中学卒業後、配線工事会社に勤めたことがある。でも1ヶ月であったが。!!

ざきば少年が、落語の世界が始まった。

落語ニュース!桂ざこばさん、落語のきっかけとなった落語 「浮世床」とはどんな噺かな。!!

「浮世床」とは、大阪の落語で始まり、その後に三遊亭圓生名人が、東京用にアレンジして東京にも広まった噺です。

江戸の昔、浮世風呂とは、いわゆる銭湯(お風呂屋さん)のとなりには浮世床という、髪結いする場所があった。

当然 この髪結床は、今の床屋さんである。今と違い、江戸の髪型は、チョンマゲを結うと言う、今では、相撲の世界に残っている。その髪型を結う場所である。

この髪結床での日常を滑稽な噺です。

若い2人が将棋をしている。

あるひとりが、王さまがないないと騒ぐ出す

その将棋の相手方が、「ああ、それならオレがさっきいただいた。王手飛車取りの時、いただいた。それはお前の飛車が逃げたから、王さまを取ったと言う もう将棋でない。

そしたら、取られた者が、「おめえの王さまは、取られてないのにねえな」と話したら、相手方はなんと「うん、さっき隠しておいた」とられたら困るからと言う

もうへぼ将棋もここまでくると新しい将棋になったいたかも。

その隣では、若者の半公がグウグウいびきをかいている。

起こすと、
「女に惚れられるのは疲れてしょうがねえ」と話す。そこに居た者がなんでたと問いかける。
「芝居で知り合ったあだな年増と、さしつさされつイチャついた挙げ句、……」とノロケル。

その先を進めると「女が帯を解き、いよいよ布団の中へ……」「こんちくしょう、入ってきたのか」「という時に、起こしゃあがったのは誰だ」と騒ぎ始める。

床屋の親方が、あんまり騒がしいので、
「少しは静かにしてくれ。気を取られているすきに、銭を置かずに帰っちまった奴がいる。」と怒っている。
「それなら、畳屋の職人だ」
「道理で、床を踏み(=踏み倒し)に来やがったか」

ざこば少年も、昭和30年代は、家にお風呂がある家は少なかった、ほとんどが夕方からお風呂屋さんに行って身体を洗ったいた時代である。

ざこば少年も、この落語噺で江戸文化を想像して笑ったいたのであろう。

なんで映像のない世界で、噺を聞いているだけで大笑いする芸能にひかれたのであろう。!!

落語ニュース!桂ざこばさん、全国にあの、ざこばの声・ざこばの顔が知られるように成ったきっかけは。あのテレビだった。。!!

日本テレビの夜に放送していた「ウイークエンダー」という番組で、日本の事件をレポーターとして事件をフリップを使用してわかりやすく説明していた。

あの顔と、あの関西弁でどかどか話す姿は実に面白かった。

まさか、ナニワの落語家と思わなかった。変わった関西人としか思わなかった。

落語もマクラから実に時事などを入れて笑いの絶えない噺をします。

なんとこに「ウイークエンダー」には、あの泉ピン子もレポーターとして出演していた

誰もその後 名女優になると思わなかった。人は変わるのだなと実感した。

 

 

 

 

 

 

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