月亭可朝さんが、今 話題になっているのは、昭和の時代に「マンガ浪曲(サラリーマン読本)」が再リリースされる情報がありました。
昭和知らない人へ、昭和から落語歴40年の私が月亭可朝さんと共に解りやすく紹介します。
落語を知らない方も安心してください。気楽にお読みください。
月亭可朝の経歴から、その不思議な世界をご紹介します。

月亭可朝さんとは、どんな大阪の落語家さんかな、ここから始めましょう。
月亭可朝さんは、大阪出身の落語家だと思っていたら、実は神奈川県出身なんです。
風貌も落語家としてはかなり個性的で、ちょび髭をたくわえ、今では珍しいカンカン帽をいつもトレードマークとして被っています。
さまざまな経緯を経て、3代目桂米朝に入門し本格的な落語修行を開始、1961年(昭和36年)に2代目桂小米朝の名で活動を始めました。
しかし「小」がつくのが気に入らず改名を希望し、伝統ある桂から、幕末明治に活躍した2代目月亭文都にちなんで「月亭」を名乗ることに。
名前は尊敬する8代目三笑亭可楽の「可」と師匠米朝の「朝」をみ合わせた「可朝」とし、こうして初代月亭可朝が誕生しました。名前への強いこだわりが感じられます。
月亭可朝さんは、その襲名披露も奇抜すぎて、もうビックリです。どんな襲名披露であったか。
月亭可朝としての華々しい襲名披露の日がやってきました。
1968年(昭和43年)、会場は大阪の笑いの殿堂・なんば花月。本拠地での開催です。
なんと月亭可朝さんは棺桶の中から登場し、観客は驚きと大爆笑。
通常、襲名披露といえば先輩落語家から紋付を授かり、格式ばった挨拶をするものですが、そこへまさかの棺桶登場。
その理由は、桂小米朝から「月亭可朝」へと生まれ変わったことを表現し、アピールしたかったからだそうです。やはり亭可朝さんは一味違います。
月亭可朝さんとの「サラリーマン読本」が復刻して販売開始されます。
月亭可朝さんは、大阪での演芸出演中、「プール」という場にふさわしい歌として、後に話題となる「嘆きのボイン」を即興で披露しました。
この歌の「ボインやで」というフレーズが大流行語になったことは有名で、その後レコード化され大ヒット。
月亭可朝さんのユーモアセンスは社会に大きな影響を与えました。
今回の「サラリーマン読本」は落語ではなく、歌を通して世相を風刺し、面白く表現した作品で、月亭可朝さんが浪曲師になりきり話芸を交えて歌います。
その内容には笑いも多く含まれていますが、今の時代ではコンプライアンス的に問題視される表現もあると言われています。
それでも制作側は50年前の作品への敬意から改変せず、1976年制作のオリジナルを完全復刻版としてリリースしています。
そのタイトルは
1.イントロ
2.浪曲口上
これは、月亭可朝さんのこの曲全般について説明しています。
3.母ちゃん行ってきます 4.タダの人(ラッパ節) 5.構内穴ウンス
6.新歌笑曲 7.チカン電車 8.社内会議(江州音頭) 9.重役コース裏道5ヶ条
10.浪曲チリ紙君の運命 11.浪曲サワリーマン 12。あゝ懐かし青春時代
13.ミスター・チョンボ(接待麻雀実況中継) 14.浪曲男・涙の縄のれん
15.ひとり酒(歌謡曲) 16.艶笑ツーレロ節 17.艶笑ノンキ節
18.浪曲オソマツの章
この18曲で構成されています。
日本がまだまだ、人口が増えている時代であり、高度成長し、経済の指標である「GDP」でアメリカに次いで、世界第2位とイケイケの昭和時代です。
当時のサラリーマンは、働くにに期限がなく、朝早くから、夜まで働いていた「モーレツ社員」がいっぱいしました。
その楽しみが、仕事帰りの同僚仲間との赤ちょうちんでのお酒に時間です。
そのサラリーマンの悲哀を込めた曲が収録されています。
今 令和の時代では信じられない状況が表されいます。
通勤電車は、満員で「痛勤電車」と言われ、朝からサラリーマンの戦いが始まっていた時代です。

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