落語ニュース!三遊亭圓楽が僕がそしてあなたが好きな落語家大好きベスト選その②!!

落語ニュース! ! 僕がそしてあなたが好きな落語家大好きベスト情報。

私の独断と寄席の高座での落語噺が楽しい落語家です。

二人目は、昭和の世代で落語をテレビになじませた落語家です。

惜しまれながら他界した「5代目三遊亭圓楽」から、その落語なり、人生なりを紹介します。!

落語ニュース!三遊亭圓楽を落語家大好き 他界しても今も大好きな落語家です。5代目三遊亭圓楽。プロフィールから!!

今も笑点でオープニングで自己紹介する「星の王子さま」が忘れません。

五代目 三遊亭圓楽

東京 下町 浅草産まれで浅草育ちです。

戦争を経験し、上野鈴本演芸場で落語を見た時に「戦争ですべてを奪われ、何もないが、この演芸場で落語を聴いて、みんなが笑うことができる。」

こんな仕事はすごいと思い、落語家にまると決めたと言われています。

三遊亭圓生に入門し、落語家としてスタートした。圓生師匠は、とても厳しい師匠として当時から知られた師匠であった。古典落語が得意で実に味のある落語を噺す。

入門時に、圓生師匠からは、一人前になるまで、50年は食っていけませんよと忠告された。

これに対し、圓楽はなんと「30迄に真打になれなかったら落語家は辞めます」と言い切った。

なんと 真打昇進は、30歳の3ヶ月前と実にきわどい時期であった。

この時に真打になれなかったら、圓楽に落語は誰も聴くことがなかった。圓楽の努力に感謝しかない。

落語ニュース!5代目三遊亭圓楽。落語大好き。圓楽と言えばやはり、笑点です。!!

1966年 笑点大喜利スタートから回答者として出演していたんだ。

一時期立川談志と出演者が対立し、降板した。その後に復帰したりと目まぐるしい時があった。

ある時、圓生師匠から、「円楽 おまえはこんな安っぽい芸人で終わるのか」たしなめられ、降板し、落語に専念した。1977年に降板。

1982年に司会者であった三波伸介さんが急死したため、司会者として笑点に復帰した。

運命といいか、宿命といいうか。不思議なつながりです。

落語ニュース!三遊亭圓楽は落語家大好き 笑点での三遊亭圓楽は、座布団運びの山田さんとは、不思議が楽しい!!

圓楽師匠の時から、今 令和において座布団運びとして山田隆夫さんが続けています。

山田さんが座布団運びをしてから、大喜利回答者と司会者 圓楽との掛け合いとか、大喜利に積極的に絡むようになった。

悪ふざけした回答者、山田さんの悪口を言った回答者から座布団を取り上げるのは実に面白い。

時には、回答者を突き飛ばしたて座布団と取り上げる場面もある、これを司会者 圓楽がうまく繋げて、大喜利の新しい味としている。 この取り上げられるのは林家たい平が多いかな。

特にこの時代は、メンバー全員でロケに行ったりした。

その行き先が、山田さんの新居訪問、木久蔵ラーメン店訪問などのバスツアーしたりして、よろ大喜利メンバーがファミリーとして形成されていた。

圓楽師匠の司会者時代、1988年以降16年間メンバーの交換入れ替えはなかった。

これは、圓楽師匠が、メンバーが体調不良などで休演した時でも、代わりに変な芸人はいらない。山田君が大喜利のメンバーになればいいと話していた。

それほど、大喜利メンバーへの信頼、山田さんへの信頼が大きいことが解る。

落語ニュース!三遊亭圓楽が落語家大好き 5代目三遊亭圓楽。噺はどんな噺かな!!

5代目圓楽師匠の噺はいろいろありますが、今回は「分金丹」をご紹介します。

※分金丹

あの顔の長いところを感じさせない、実に面白い人情噺です。

旅人 初五郎と梅吉は、お金のない二人は、道中のお寺にやっかいになていた。

留守番していたら、弔いの依頼がきた。これはチャンスと二人は思い引き受ける。

お経を「いろはにほへと」や都々逸などと経をあげたようにした。

最後に戒名をいただきたいと言われた、さー大変。

そこでなんと薬の包み紙をだし「官許伊勢朝熊霊法万金丹」を戒名としてだした。

これはなんだねと聞かれる。

「カンキョウ」とは、棺の前で経を読んだから、カンキョウ だよ。

そうか、棺の前で経を読むから官許 なるほど

伊勢朝熊はどういう意味だ。

そえは生きている内は威勢ががいいが、死んでみりゃ浅ましくなっちゃう

だから、イセアサマ だ。  あるほど。

霊法とは、どういうことかね。

お経なんては、礼によって長くも短くもなるんだ。

だから、礼は法によって、法は礼によって決まるからレイホウなんだ。

このウソが圓楽が本当のように噺のが実に面白い。

おもわず、大爆笑して、お腹がイタイイタイになってします。

演芸場は、笑いの渦が止まらない。

落語ニュース!三遊亭圓楽が落語家大好き 5代目三遊亭圓楽。落語・演芸ブームへ!!

5代目圓楽師匠が、真打になった昭和30年台は、テレビが普及しだし、演芸場からテレビへと移り、寄席を始め、演芸場などが衰退する一途だった。

これでは、マズイと圓楽師匠は、テレビを積極的に利用した。

あの有名は自己紹介「星の王子さま」が生まれた。

今までの落語会にはなかった感覚で、ちょっとキザなキャラクターを自分を表現し、一般の人に、映像であるテレビを活用し、売り込んだ。

そうして、その後 演芸落語ブームが生まれ、笑点はいまでも、高視聴率をとれる番組として今も放映されている。

5代目三遊亭園楽から6代目三遊亭円楽へ、そして7代目三遊亭円楽へ引き継がれる芸!!

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