春風亭の亭号を名乗る落語家が、今注目を集めています。
春風亭は東京を拠点とする落語家ですが、出身地は必ずしも東京とは限りません。
なぜ春風亭の亭号を選んだのかというと、その理由は意外とシンプルで、目標とした師匠が「春風亭」の亭号だったからです。
師匠の落語が好きで弟子入りを志願し、許しを得て落語界に入門したのです。
春風亭の落語家たちは昭和の時代から今に至るまで、その伝統を受け継いでいます。
春風亭がここまで隆盛を極めてきたのは、二大落語家に大きく貢献しました。
春風亭柳昇さん、春風亭柳朝さんです。この二人についてはまた、別にお話します。
今回は、そんな春風亭の落語家たちの中からお気に入りを紹介します。
春風亭では異端児、天才なのかも「春風亭小朝さん」若い時から目立った落語家さん。
昭和から平成、令和と長く活躍している春風亭といえば、この人。
若い頃から「落語の天才」と呼ばれた春風亭小朝さんです。
初めは「小あさ」と名乗り、中学生の頃から落語が上手いことで知られ、しろうと寄席でチャンピオンに輝き、審査員だった8代目桂文楽にも褒められるほどでした。
高校生になると春風亭柳朝師匠に弟子入りし、早くも落語家人生をスタート。
小朝さんといえば、まず25歳で36人抜きの「真打昇進」、そして昭和の爆笑王・林家三平の娘、泰葉さんとの結婚と金屏風前での離婚会見が有名です。
若い頃は「横丁の若様」として登場し、時代劇やバラエティにも出演するなど、昭和では異端児的存在でした。今の若い落語家は、ずいぶん普通になりましたね。
春風亭では異端児、「春風亭小朝さん」の女性弟子「蝶花楼桃花さん」は、カワイイ落語家さん。
蝶花楼桃花さんは、研修時代に演劇倶楽部で「落語の講義」や古典芸能に触れたことが、落語の世界に入るきっかけだったそうです。
前座名は「春風亭ぽっぽ」で、小朝師匠が「平和のシンボルといえば鳩」という発想から名付けたといわれています。
二ツ目に昇進した際には「ぴっかり」と改名し、これも小朝師匠が「灯台の灯りのように人々を照らしてほしい」という願いを込めたという噂があります。
そして2022年、ついに真打に昇進。小朝師匠から新たな名「蝶花楼桃花」を授かりました。「蝶花楼」は七代目蝶花楼馬楽さんが使用していた亭号ですが、2019年に亡くなられたことで途絶えていました。
小朝師匠はこの亭号を復活させたい思いから桃花さんに託し、女性らしく華やかな名前として「蝶花楼桃花」となったのです。
春風亭と言えば、令和に時代は「春風亭昇太さん」がいます。結婚しない、出来ないと言われていました。しかしです。
春風亭昇太さんは「落語芸術協会」の会長で、とても偉い方です。
長寿番組「笑点」では、大喜利の回答者から司会者に抜擢され、桂歌丸さんから司会のバトンを引き継ぎました。
大喜利回答者から司会になったのは、5代目三遊亭圓楽さんと桂歌丸さんに続く3人目。
回答者時代は「結婚できないキャラ」で自己紹介しており、落語界や世間でも「結婚しない人」というイメージがありましたが、元宝ジェンヌの女性と結婚し、大きな話題になりました。
幅広い芸を持つことでも知られ、演劇にも出演し、NHK大河ドラマや時代劇、日曜劇場では皮肉の効いた役柄も演じています。
落語以外の分野でも活躍し、春風亭の亭号を持つ落語家は、今や落語界のみならず芸能・演芸の世界で広く活動しています。

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