落語家のグループがいろいろある。有名な落語協会と落語芸術協会 名前は似ている。なにが違うのか、調べてみた!
同じ業界に同じような組織がある。これってどこの業界にもあるよね。
落語会は笑いの世界だけど逆にどろどろしているらしいよ。!!
これからは、「六人会」がキーワード 落語ニュース続編でご紹介します。
1、落語協会と落語芸術協会と同じような名前が二つあるか。何かありそう。こわいもの見たさ!
落語協会は 大正13年に発足した落語家のためにと思いから、発足したようです。
落語協会の事業は、寄席芸能の普及や後進の育成を目的に、まずは人の育成と興行場所の確保と整備及び芸能に関する資料・文献の収集保存。
落語家の昇進資格の認定などと記載があるが、当たり前のことをお題目してある。
東京では、上野鈴本演芸場、新宿末廣亭、浅草演芸場、池袋演芸場で寄席開催している。
また、地方の学校などでの公演なども開催している。
落語芸術協会は、1977年に設立した。前身は日本芸術協会であった。
東京の落語家だけでなく、上方落語家の笑福亭鶴光、春風亭柳昇、桂米丸などの新作落語家が多数輩出している。
昔から「古典の落語協会 新作の芸術協会」と言われたが、今はどちらも古典、新作と両者は演じている。
2、落語協会と落語芸術協会とは元は同じでしたが、分裂したんだ! なぜ
1978年 落語協会会長であった柳家小さん(5代目)が、真打大量昇進にたしての騒動が始まりであった。
真打は落語家を目指したら、必ずなりたい地位であったから、修行中の若い落語家は大喜びであったが、最高顧問であった、前会長の三遊亭圓生 大名人が、そんなに真打をだしては、実力にかねあっていないと意義を訴えたから若い落語家は大変である。
師匠が右と言えば「右」、黒も師匠が「白」と言えば「白」なそのような世界であるから大騒動になった。
三遊亭圓生名人は、落語協会を脱退し、独自に落語三遊協会を設立したから、もう両者とも後には引けなくなった。
3、落語協会と落語芸術協会分裂騒動で、真打が明確になったんだとか!
今までは、真打になれるのは、実力以上に、師匠たちに可愛がられた。席亭に評価がよかったとか、人の気持ちで昇進しているところもあったようです。
この騒動から、真打昇格試験ができるようになったとか。
今のちょっとした会社であれば、どこでも昇進するには試験があるにが当たり前です。
落語家はよく言えば「個人事業主」ですから、他人にいろいろ評価されるのことは関係ないと考える人も大勢します。
それでないと、ひとりで「落語の芸」で活きていけませんから。
4、落語協会と落語芸術協会以外にも、落語家の集団の会があるの知っていましたか。!
落語立川流 あの立川談志が設立した落語に組織です。
立川志の輔 談春 など 落語噺以外にも演芸、バラエティ番組、情報番組 俳優業といろんな業界に進出し、落語の枠を超えて活躍していつ落語家がおおいのも、師匠 談志の人柄が、今にもつながっているんでしょうね。
落語圓楽党 もとは、昭和の名人 三遊亭圓生師匠が、真打昇進方法に異議を訴え、もっと厳しく若い落語家を育てるべきと考えていた。その弟子である圓楽がそれを継承した組織である。
師匠である圓生師匠の言うことは、常に正しいと付いてきたが、圓生師匠が急に亡くなったため若い落語家のために圓楽党を立ち上げ今になっている。
やはり、三遊亭一門の方々が多い。
今 このような組織に関係なく、協会・組織を超えて、いろんな取り組みが平成から令和にかえて活発になっています。
その代表格は「春風亭小朝」が中心になって活動している「六人の会」などが話題となっています。
メンバーは、春風亭小朝(落語協会)、笑福亭鶴瓶威(上方落語協会)、林家正蔵(落語協会)、柳家花緑(落語協会)、春風亭昇太(落語芸術協会)、立川志の輔(立川流)となっている。
みんなが知っているメンバーですし、影響力はありますし、マスメディアンを動かす術を知っていますから、お客さんに絶大な人気があります。
このように、令和の時代からは、協会、流派を超えて笑いの殿堂を伝承していくこになるでしょう。
次回は、この「六人会」情報を落語ニュースします。 お楽しみに!!
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